数ヶ月前に上野で開催された金刀比羅宮の襖絵の展示を観て、「まだまだ、よく知らない日本の古典作品があるんだナ」と再認識した私は、
四国についてもう少し知る必要があると思うようになりました。都から便が良いとは言えないこの地に何故これだけの社ができたのでしょうか。
中世、船貿易が盛んだったころの瀬戸内は現在からは想像もつかないような経済力を誇っていたのでしょう。金刀比羅宮も船乗りの社の
中核として栄えたようです。書院の絵を説明をしておられた方の中には、ここをお寺と勘違いしている方もおりましたが、神社ですね。
それゆえか、明治から昭和にかけて天皇制と軍の強化の時期に、ここが日本海軍の守り神と化していた名残があちらこちらにうかがえました。
純粋に古美術研究としては、上野で観た襖絵が建物と一体になったときにどのように観えるのか知りたかったのですが、結果は、
(上野の展示では柱などを複製したり状況をよく再現していたこともあり)現地で観ても作品の印象はそれほどかわりませんでした。
それでも、こうした文化財が生まれた現地に立つと、かつてここに注がれた人々のエネルギーの残滓のようなものは感じられますね。
(金刀比羅宮 本宮)